人種
じんしゅ; race, human race; raza
解説:池田光穂
人種とは、人間の種別的差異・種差(specific difference)によって区分されたカテゴリー(分類範疇)のことである。つまり人種とはある考え方=見方であり事実ではない。より簡単に言えば、同一種の人間 集団のなかにあらわれた、人間の種別区分 である。
人種主義とは、ルース・ベネディク ト(1997:116)による と「ある民族集団が先天的に劣っ ており、別の集団が先天的に優等であるように運命づけられている、と語るドグマ(教説)」のことである。人種主義を科学的に証明ししようという(今日では完全に無益で無意味で非科学的と言われている)科学研究が「人種理論」である。
この定義にもとづいて論理的に言えば、同一種であるはずの人間のなかに「区分」があるのは論理的 に奇妙である。しかし、我々の経験的事実として、人間集団の形態的差異——背格好や肌の色、顔の特徴の違いなどなど——があるために、私たちは人種の違い があるのではないかと思ってしまう。しかし、それらの違いは形態的違いの集団的特徴であって、生物学的には《全くの同一種》であることは言うまでもない。 すなわち、人種は、科学的に証明することが絶対にできない人間を区分する分類概念である。
人種は、(1)科学的には分類することが出来ないナンセンスな概念である。しかし、科学者はあり もしない人種主義概念に振り回されている。例えば、メルヴィル・ハースコヴィッツ(Melville J. Herskovits, 1895-1963)は、1925年当時、黒人とは何かと尋ねられて、米国の黒人は白人との混血が多いために、黒人と白人の間に有意味な差異はもうけられ ないと発言している(Herskovits 1968)。しかし、これは〈純粋な人種〉が存在するという非現実仮想——ありえない人種概念を思考実験のなかで想定してしまう——を図らずしも前提とし てしまっている。
他方で(2)社会思 想的には常に否定的な意味で(=人種主義者のあいだでドクサ=非反省的認識として本質主義化 されるため)つねにすべての人びとの想起される必要のある用語である。後者の議論は、ナンセンスはものではなく、人種概念は、生物学的な概念(例:成熟個 体)ではなく政治学的概念(例:囚人、有権者)であり、それは言い換えると「人種とは人種主義(=人 種差別主義)が造りだす人為的な人間の区分」に他なら ないことを示している。
以下、この2つの考え方に即して説明する。
● 科学的には分類することが出来ないナンセンスな概念としての「人種」
人間の生物学上の類別的概念としては、ブルーメンバッハ()が1795年に主張した[→人種の最初 の分類の中にすでに人種間の優劣についての言及がある]。これ以降、「人種は生物学的概念であり、民族は文化的概念である」という誤った考え方が定着して いった。
人種が生物学的区分であると考えられた理由は、(a)人種を生物学的な形質から大まかに区分す ることができるという仮説にもとづいていたり、(b)人間の「自然な集団」というものがあると前提とする考えかたからでてきた。前者の仮説(a)は形質の 区分はつねに恣意的であり客観的な線引きは生物学上はできないことで否定された。後者の前提(b)は、生物種(species)としても亜種 (subspecies)としても「自然な集団」としての人間を生物学的に区分できないことで否定された。
人種の分類は科学的に正当化できるという主張は科学人種主義(Scientific racism)と言われるが現
在では否定されている。科学人種主義は、ウィキペディア(英語)の表現に倣うと、人種主義(人種差別)、人種的劣等性、あるいは人種的優越性を支持するか
正当化するた め経験に本当らしく見せる「擬似科学的信念(pseudoscientific
belief)」のことである。言い換えると、異なった表現型
(phenotypes)や遺伝型(genotype)の個人を明確に区分された諸人種に分類する実践を端的に科学人種主義と言うことができる。歴史的に
は、科学人種主
義は、かつての科学者集団のなかでは信頼性があったとみなされたが、現在ではもはや科学的なものではないと認定されているものをいう(→「人種主義」)。もちろん、ナチスドイツ時代においては、人種の概念は科学的であり、劣等人種(ユダヤ人や黒人など)を差別することは科学的に意味のあることだと信じられた。フランツ・ボアズやその弟子のルース・ベネディク
トたちが、ナチスドイツの人種理論(→「人種衛生学」)が誤っていることを批判する時に、彼らは人種主義の方法論を使ってその誤りを正したり、あるいは人種の正当性の主張の論理を、丁寧に分析して、それが奇妙な論理を振り回していることを指摘した。
科学人種主義が完全に擬似科学と認定された後に、ユネスコは人種に関する2つの宣言 (1950,1951)をおこない、人種概念がそれにもとづ く差別(人種差別)に乱用されないような説明をおこなった。しかし、これすらも今日では古典 的な人種概念の残滓がみられると自然人類学者の中には批判する者もい る(尾本 1997:103)。(→「人種概念としての「ミンゾク」・ネーション(国 民)としての日本民族」の民族=レイスの記述を参照のこと)
ドイツ語のラッセンテオリーエ(Rassentheorie)は、人種論(人 種科学、人種理論とも総称される訳されるものである。この人種論は、人類を異なる人種に 分ける理論のことである。特に19世紀から20世紀初頭にかけては大きな影響力を持ったが、現在では時代遅れで科学的にも支持されないと考えられている。 人種は主に肌の色や髪、頭骨の形などの外見的特徴(表現型)に基づいて類型的に区別されたが、それ以外にも個体の性格や能力の違いもしばしば想定され、主 張された。そのために、2018年7月、フランス国民議会は憲法から「人種」という言葉を時代遅れであるとして削除した。
● 否定的な意味でつねに銘記される必要のある用語としての「人種」
人種概念は、つねに人種差別思想(人種主義という:ともにracism)とセットになって一 世紀 半以上も西洋思潮を支配し続けたため、 人種概念が科学的に無意味であることを認識しても、人種差別思想はすぐには消滅することはない。おまけに、人種差別思想を廃絶することを目的に運動を展開 した人類学者の間には「人種は生物学的区分であり、民族は文化的区分」という前提にもとづいて「人種間の優劣は存在しない」という主張をおこなったため に、人種=生物学的な人間の類別的概念という考え方が長いあいだに定着してしまった。
「人種は現代の迷信ではない。しかし、人種主義は迷信である。それはある民族集団が先天的に
劣っ
ており、別の集団が先天的に優等であるように運命づけられている、と語るドグマである」(ベ
ネディクト 1997:116)
そのため、人種概念の相対化するために、人種差別思想と分けることのできない人種概念(科学 史 における人種概念)が、どのように歴史的に社会的に構築されてきたのかという研究が進んできている。もっともこの種の研究は、今日的では科学的に誤った概 念の使い方を探し出し、その論理構築の誤りを指摘するという、科学史における勝利者史観とよばれる結論の論点先取的議論になりがちである。人種差別思想と いう誤ったものがなぜ支配的であったのか、それが恐ろしい力をもちうるだけの「常識」でありつづけたのかという説得力のある主張は、それほど多くは登場し ていない。
また、人種は混交するゆえに「混交は本当は素晴らしいんだ!」という表面的な異種混交をやみ く もに肯定する議論も、人種差別思想における境界を前提にした対抗的思潮という点では論理的には単純な議論である。異種混交肯定の立場から反人種論について 議論する際には、なぜそれがつねにマイナー位置しかとり得なかったのかという考察や証明が不可欠である。
人種差別思想とそれがもたらした社会的帰結が、近代の生んだ最も忌まわしいものであるという 認 識に立つならば、人種の概念は否定的な意味でつねに我々が想起する必要のある思潮であることに変わりはない。
人種概念は「それを理由に」抑圧され、差別されている人たちからみると、かつての人類学者が 主張 したような「神話」でも「とるに足らない迷信」でもありません。それが本質的な抑圧装置——正確には言説装置——として実際に機能しているからである (例:アパルトヘイト期における南アフリカの黒人を想起してほしい)。
そのため、人種を、政治権力による「支配」にとって「有効」な——もちろん被差別者にとって は 「有害」な——社会的分類であるという理解も可能になります。つまり、被差別・被抑圧者にとっては、人種は、人種という社会的・政治的分類が撤廃されるま では、つねに現実のものとして機能し、また、つねに思い出す必要のある政治的分類概念であることになります。
● 「人間はすべて平等である」という主張は、生物学のそれではなく、政治的・倫理的・宗教的原理である
テオドシウス・ドブジャンスキーという生物遺伝学者は名著『遺伝と人間』(原著:1964;邦訳:1973年)において、「人 間はすべて平等である」という主張は、生物学のそれではなく、政治的・倫理的・宗教的原理であると言っています。人間は、他の生物の種の定義では遺伝的に 次の世代を産めないほど離れていますが、人間は肌の色や髪の毛や身体的特徴において多様な違いがありますが(つまり遺伝的多様性がありますが)、相互に次 世代を育むことができます。ちょうど、犬や猫の「品種」の違いぐらいしか差がありません。そのため、人間の「人種」と称するもののあいだの多様性は、人間 という同一種の中の遺伝的多様性のレパートリーでしかありません。
人種の分類は、初期の人類学者の(1752-1840)が、1775年に、白色人種、黄色人種、黒色人種、赤色人種、褐色人種という5つの人種に分類することからはじまったと言います(ドブジャンスキー 1973:103-104)。その後、スゥエーデンの解剖学者、グスタフ(マグヌス)・レチウス(,1842-1919 )が、頭蓋骨の形が重要だと考え、1856年に、長頭型、短頭型、顎や歯が突き出ているプログナサス型、顎のまっすぐなオスソグナサス型を分けました。その後、1900年に(Yosif Yegorovich Deniker, 1852-1918)は29種の人種と副人種に細かく分けました。その後、再度、大分類されるようになり、1934年にエゴン・フライヘル・フォン・アイクシュテット(Egon Freiherr von Eickstedt, 1892-1965)が、我々がよく知る、ヨーロッパ型あるいは白色人種、ニグロまたは黒色人種、蒙古型または黄色人種の3分類を提唱することになりました。アイクシュテットは、白色人種9種、黒色人種8種、黄色人種12種の副人種にわけましたが、これは、のものとは合致しません。つまり「人種の種別分類は研究者により恣意的に決められ合意の得られる分類など存在しない」ことをここで確認することが重要です(ドブジャンスキー 1973:106)。
テオドシウス・ドブジャンスキーとアシュレイ・モンタギューは、「人種」という言葉の使用と有効性について、長年にわたって議論し、合意に達することはなかった。この論争はその後も続いている。モンタギューは、「人種」には有害な連想がつきまとうので、科学から完全に排除した方がよい言葉であると主張した。ドブジャンスキー はこれに強く反対した。科学がこれまで受けてきた誤用に屈してはならないと主張したのだ。二人の意見が一致することはなく、そのためは1961年、モンタ ギューの自伝を評しながら、「『民族と人種』の章はもちろん嘆かわしいが、民主主義国家ではどんなに嘆かわしい意見でも出版できるのは良いことだと言って おこう」(ファーバー 2015 p. 3)、と述べた。「人種」という概念は、多くの生命科学の分野で重要視されてきたが、近代において創られた点では、人種という概念に革命を起こし、ヒトにおける「人 種の型(タイプ)」に基づく厳密な形態学的定義から、遺伝子頻度の異なる集団に焦点を当てた定義へと移行した。これは、集団遺伝学に基礎を置くことで、「人種」に関連 する深く根付いた社会的偏見が損なわれることを期待してのことでもあった。
● 以上のことを踏まえて、下記の動画(物語と歌)を鑑賞しましょう——できれば周りの学生や先生方と共に議論しましょう(→「ダイバーシティと文化的能力」)。
Black Gold by Esperanza Spalding [OFFICIAL]---「レイス」の概念を肌の色で象徴的に表現し、他者を毀損することなく、(これまで蔑まされてきた)レイスのアイデンティティを今一度確認しようとする詩歌です!!!
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文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
[Left]Ad Reinhardt, cover, Ruth Benedict and Gene Weltfish, The
Races of Mankind (New York: Public Affairs Committee, 1943).
[Right]The Race of Mankind: People are gentle or warlike depending on their training.
写真はルース・ベネディクト(1887-1948)の『人種』をもとに
つくったパンフレットから